人生には勝負を賭けた旅をしなければならない時がある。
勝負と言っても、自分自身の過去に決着をつける旅のことだ。
つまり、その時までに得られた思考や認識、全てを注ぎ込み、それまでの自分を旅という形で問うのである。
人生にたった一つでいいから、俺はこれをやったんだ!と言えるものが欲しい。
(探検家・角幡唯介)
こんばんは、一城ひとまです。
今回はつい最近読み終わった、ノンフィクション探検記『極夜行』の感想です。
この本の著者である、角幡唯介さんは、グリーンランドにある世界最北の村シオラパルクから北極海を目指すという徒歩の旅を2016年12月から2017年2月まで行った。
パートナーは犬一匹。物資を積んだソリを犬と一緒に引きながら徒歩で旅をする。
北極海を目指すというのは、かりそめの目標であって、本当の旅の目的は、
(1)極夜を肌で感じること
(2)極夜明けの最初の太陽を見ること
だそうだ。
旅の最初から最後まで様々なハプニングに見舞われるも、結果的には大きなケガを負うこともなく、生還することができた。
一歩間違えたら死ぬような極限状態だけど、ハプニングにあったからといって、すぐに退却せずに、その時の体調や装備、残りの食料で出来る限りふんばる姿勢に、色々と学ばせてもらった。
山に詳しい人に、「山で一番怖いものはなんですか?」と聞くと、ほぼ100%同じ答えが帰ってくる。
それは
「天候」だと。
この角幡さんの探検でも同様だった。
天候が一番怖い。特に最近は地球規模で気候変動が起こっているのか、古くから土地に住む人でも、天候が読みづらくなっているそう。
最先端の天気予報でさえ大きく外れることがある。
北極探検中に天気を読み間違えたら、それは死に直結するだろう。
自分は探検家ではないので、あまり知見はないけど…。
そういえば、Bライファー(小屋暮らし人)の中にも、探検家の方がいたな。
ぜひ探検行の話を聞いてみたいものである。


死はそう遠くない将来確実にやって来るが、死の間際に満足してこの世を去ってゆきたい。
たった一度の人生、本当の自分の人生を生きろ!
この『極夜行』という本を読んで、探検というものは、準備にすごく時間のかかるものなんだなあと感じた。
角幡さんはスポンサー契約を結ばず、独力で費用を貯めて今回の北極探検に挑んだ。その準備期間…
実に4年!
その間にお金を稼いだり、探検に必要な天測技術を学んだり、現地に食糧のデポを運んだりしていた。一つの大きな探検のために、4年間も費やした。
これでは生涯のうちに何度も探検を行うなんて不可能だ。
登山家の栗城史多さんのようにスポンサー契約を結べば毎年のように大きな冒険にチャレンジすることはできるだろうが、それでは結果を求められ、自分の行動に制限を課せられてしまう。
自分の心を裏切らず、自由に探検するには、膨大な準備期間と、莫大な費用が必要。
探検家業も大変だなあと感じた。いや、この世に楽な仕事なんてないのかもしれない。
面白いかつまらないか。仕事はその二つしかない。
また、この本にも、旅のあり方について書かれていた。
つまり、探検のゴールの話。ゴール(目的地)はかりそめのものでしかないと。そこにたどり着こうが途中で引き返そうが、それは大きな問題ではないと。
なぜならゴールや目的地なんてものは、所詮ただの目安にすぎないから。それよりもその土地を肌で感じ記憶すること。それが最も大切なんだと。
これは人生にも言えるのかもしれない。
会社勤めをすると、よく「目的と目標を間違えるな」とか、「過程より結果が大事」なんて言われるが、果たして本当にそうなんだろうか? 結果や目的なんて所詮ただ単純に人間が決めたものじゃないか。ただの分かりやすい決め事に過ぎない。
死の間際に、「月間ノルマの100万円が達成できなくて悔しい」なんて感じる人間はいやしないだろう。
それよりも「もっと家族を愛せば良かった」とか、「妻や子供に優しくしてあげればよかった」とか、「あの時に勇気を出して、冒険に出かけていれば…」とか、
きっとそんなことを感じながら死んでゆく人間が多いのではないだろうか。
死の間際に、昔の罪を告白する犯罪者もいるくらいだし。
本当のゴールは、実はアバウトで、柔軟性のあるものなのかもしれない。
前に、盲目の登山家がエベレストに登頂する登山本を読んだことがあるけど、
そこにも
「幸福は頂上にはない。人生の幸福は中腹にあるのだ。」
と書かれていた。
そう、人生の幸福とは、「道を歩き続けること」なのかもしれない。
長い旅をゴールしたり、金メダルを取ったり、大きな業績を残した人が、その直後に謎の自殺を図ることがある。多分、夢が叶った喜びよりも、夢を失った喪失感の方が強かったんだと思う。
これだけ多くのものを犠牲にして夢に邁進してきたのに、得られたものは…
たったこれだけか!
そう感じて、人生に絶望してしまったのだろう。
それなら、叶えられないほどの妄想めいた夢を持つか、夢を叶えた端から新たな夢を見つけるか、人間が幸せに生きるのは、そのどちらかの生き方しかない。
Being on the road(途上にあること)
バックパッカーだった沢木耕太郎さんが外国人に「禅とは何か?」と問われて、答えた言葉である。
幸福もこれに尽きるのかもしれない。
おわり